漢文訳

倉庫のindexに案内を付けたのでここにも貼っておきます。

当サイトhttp://syusou.qee.jp/とhttp://d.hatena.ne.jp/hatayuma/(ry漢文訳は、和訳してます。 / 翻訳には、間違いがあるやも知れません。ご了承ください。 / 長文引用も転載も改変もご自由にどうぞ。

晋書成帝紀の訳2、咸和六、七年

六年春正月癸巳、(石勒の將)劉徵はさらに婁縣を侵略し、遂に武進を奪い取った。乙未、司空郗鑒の位を進めて都督呉國諸軍事とした。戊午、運漕(船で貨物を運ぶこと)を続けられず、王公以下は千余人の丁(成人男子)を派遣して、各々米六斛を輸送した。 二月己丑…

晋書成帝紀を咸和五年(330)まで訳してたので

ドキュメントから発掘したやつにちょい書き足して載せてみる。咸和五年(330)、つまり蘇峻の乱平定とか前趙の終わりまでは訳したんで、こんなのでもないよりは良いかと思いますきっと。中華書局の注(名前の字が違うとか)はスルー。新字体旧字体混ざってるけど…

世説新語の寵禮の三と仇隟の七

てきとう訳です。 前に書き忘れましたが、原本を持っていないので底本とか書けません。いくつかのサイトで探してきたものです。 まあ新釈漢文大系のにも原文は付いているのだけど、訳まで読んでしまうので見ないことにした。 08/03/28 原本買いました。 こん…

世説新語の言語の五十六

世説新語の言語の56。訳はてきとう。 簡文作撫軍時,嘗與桓宣武倶入朝,更相讓在前。宣武不得已而先之,因曰:“伯也執殳,為王前驅。”簡文曰:“所謂‘無小無大,從公于邁’。” 簡文帝(司馬昱)の撫軍(大?)将軍であった時、桓宣武(桓温)とともに朝廷に参内した…

刀剣録よりちょこっと持ってきた

宮崎市定氏著「謎の七支刀」に載っていた、刀に書いてある銘文の話。何でも「刀剣録」というものに残っているらしい。ためしに百度で検索してみると、内容が公開されていました。 以下「謎の七支刀」と同じところを引っ張ってきた、刀剣録。著者は梁の陶弘景…

簡文帝の《春江曲》 晋?梁?

客行只念路,相争渡京口。 誰知堤上人,拭涙空搖手。 客行(旅行く)路を只念い,相争うて京口を渡る。 誰ぞ知る堤上の人の,涙を拭いて空しく手を搖るを。 あっている自信はどこにもありません。んで、京口は建康近くの地名、北府軍駐屯地。 しかしですねこの…